・活動主義の授業はダメ。今の授業で先生は何を指導したのか分からないような授業ではダメ。
・子どもを向上的な変容をさせないような指導ではダメ。授業は一人ひとりをきちんと参加させること。そして鍛えること。
・「出来た人は・・・」と聞かない。「まだ出来ない人は・・・」と問うこと。
・(野口さんが発問。それを受けて、立って話す人、そのままの人、声が小さい人がいたことから)「同じ指示でこれだけ違う。以後、きちんと立って話しましょう」と指示。
・すばらしい授業は「攻めと受けの論理」の絶妙なバランスで成り立っている。
・「攻め」は計画。つまり指導案。この研究はよくやるが、受けの研究はあまりしない。これは難しい。受けは出た時の瞬時の判断。絶妙な情況の論理。
・「受け」のことは本にも書けない。
・(昼食時に)「受けを鍛えるためには」という質問を受けて「経験を意図的に積んで整理するしか・・・。僕は寄席が好きで行くよ。落語から学べるよ」と一言。
・終わることを楽しみにされる授業はダメ。先行きが楽しみにされるのがいい授業。緊張と期待が続く授業がいい。
・板書しながら声を出す。ノートを助けることになる。
・質問する子どもは分かっている子ども。成績のよい子どもが質問する。
・(会場で質問はないかと聞いたら、一人しか挙手がなかった。でも実際は多くの人が分かっていなかったことを受けて)「ねえ、子どもの主体性なんて、あてにしていたら育たないことがわかるでしょ」「わからなくても質問しないのだから」
・鑑賞は文脈規定生。文脈に基づいて判断するのだ。クイズじゃないのだから。
・すぐに書ける人は単純な人。思慮深い人はじっくり書く。でもまだ書けない人は深いのではなく、足りないのだ。
・小集団学習は授業の雰囲気を和らげる。子どもが固くなった時、公的私語を許す意味で小集団学習を入れても良い。
・(詩の一部に入る言葉を隣同士で話し合わせ、それで意見が変わった人が少ないのを示して)人の考えを聞いて自分の考えを変えるのは難しい。現実を知ろう。
・(考えが変わった人を立たせて)「何から何に変わったかを言ってください」
・(私は○から△に変わった人の意見を聞いて)「いい変容だといいねえ」
・出来ることより変わることがすばらしい。人間の格が違うね。
・文脈の規定性が甘いから、いろいろな解が入ってくる。
・(□に入る言葉を聞きながら)「どっちでもとれる、どちらともとれない顔つき。この受けが大切だ。」
・表現に基づいた隙間のない論理が大切だ。
・「ああ、あなたはそう考えたんだね」という指導しない風潮が全国に広がっている。これはいけないことだ。
・正しいことを正しいと教え、あやまちはあやまちと教える。それをいい加減にしているから国語力をダメにしている。
・(問いをなげかけて)「皆さん、頭の中でカーッと考えていますか。こんなに考えたのは・・・というのがいい授業」
・ここにいる相当な先生方も手を挙げられないでしょ。だから挙手に頼ってはいけないのだ」
・異論が出る時が伸びる時。
・(「私は○です」という発言を受けて)「こういう言い方はいいでしょ。ぎょっとするでしょ」
・(教える側と教わる側のどちらが偉い?と問いかけて)「なかなかスカッと答えられないでしょ。危険が伴うからね」
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